O先生は控え組の練習を見るようになりました。
新入部員の教育、指導係も、
控え組のリーダーも僕は外されてしまいました。
外されたというか、恐らく僕のことが気に入らなかったのでしょう。
僕がそれまでしていたようにみんなに指示を出すと
「偉そうに言うな」
「自分が出来るようになって言え」
僕が先輩から受け継いだ練習メニューを始めようとすると、
「勝手に始めるな」
「そんな練習は意味がない」
「お前が楽したいだけか」
などと、僕の言うこと、やることなすこと全てが気に入らないようでした。
それからと言ったもの、控え組が練習試合をしたとしても
僕は出ることが出来なくなりました。
だけど、O先生が控え組に対して言うことには
「声がない」。
僕を出せばレギュラーチームより声を出す自信はあるのに…。
僕はもう何がなんだか分からなくなりました。
何を信じていいのか分からなくなりました。
それからは僕ら控えはお世辞にも団結しているとは言えませんでした。
何故なら、明らかにO先生に対してゴマをすった人間が
O先生の推薦でトップチームに入ったり、
練習試合に数多く出場するようになったからです。
僕は練習試合というと休みだと勘違いするくらい、
練習試合の日が楽でしかたなく、
そして、とてもつまらなく思えてきました。
僕以外にも出せてもらえない仲間は何人かいました。
その仲間も多少のずれはあるものの
当時は置かれた状況に対して不満でしょうがありませんでしたが
当時の僕たちに何か決定的な打開策があるわけではありませんでした。
ただ一つ、ゴマをすらなければいけないこの状態は
おかしいとしか考えられませんでした。
そのような状況ではやる気が出るはずもなく、
自然と態度が乱れてきても不思議ではありません。
そんな中でも(表面的とは言え)
態度を乱れさせることなくやっていた僕らは
どこか壊れていたのかも知れません。
いえ、ある意味凄かったのかもしれません。
だけれど、僕を取り囲むバスケの環境は
1年前とは明らかに変異しました。
僕は練習中何一つ声をかけられることがなくなりました。
僕は練習中何一つ声を出さなくなりました。
僕は試合には全く縁のない人間になりました。
僕は練習が苦痛でしょうがありませんでした。
そんな日が一体何ヶ月続いたでしょうか。
僕はバスケットボールと言う競技そのものが嫌いになりかけていました。